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2023/03/13

少し話しが大きくなったような…

少し前から話題になっている総務省の内部文書ですが、総務省側が行政文書であることを認めたことで、少し話しが大きくなったような気がしますね。

 

また、役人が仕事で作成した文書は、すべて公文書であると認識していましたが、こういう認識は大雑把すぎるというか、適当ではなかったかもしれません。

 

まあ、公文書管理法という法律にも行政文書という言葉は出てくるので、そういう認識でも構わないのかもしれませんが、わざわざ行政文書という言葉を使っているということは、

 

言葉を使い分ける意味や必要性があるのだろうと思いますので、公文書管理法にある定義に従って、正確に表現したほうが良いのかなあと思いました。

 

また、この法律には、「行政文書等の適正な管理」といった文言や、「行政文書とは、健全な民主主義の根幹を支える国民共有の知的資源である」とか、

 

「行政文書の管理に関する定めを設けなければならない」といった文言がありますので、今回の行政文書は、役所の外に出てきてはいけないものだったのだろうと思います…

 

といった今回の騒動ですが、一言で言ってしまうと、「高市大臣は止めろ」「いいえ辞めません」みたいな感じになっているのかなあという気がしますがどうでしょう?

 

例えば、3月8日の参議院本会議でも、この件に関して共産の岩渕議員と高市大臣との間でやりとりがありましたが、まさにそんな感じのやり取りでしたし…

 

「政治的公平性に係る放送法の解釈変更に政治的な圧力がかけられていたとされる内部文書を巡る問題で質問します。昨日、松本総務大臣は行政文書であることを認めました。当時総務大臣だった高市氏は内部文書を捏造だとし、これが捏造の文書でなければ大臣も議員も辞めるとの考えを答弁しました。高市大臣、自らの言明に従って大臣も議員も辞職すべきです」(岩渕議員の質問)

 

「私に関係する計4枚につきましては、私自身に確認が取られてもいないものであり、私が発言したことのない記述がなされているなど、正しい情報ではなく、捏造された行政文書4枚によって、大臣や議員を辞職すべきだとは考えておりません」(高市大臣の答弁)

 

まあ、よくわからないうちから話しを出してきた立憲よりも、総務省が行政文書だと認めてから話しに入ってきた共産のほうが数段上のような気はしますけどね。

 

この問題を最初に追及した立憲の小西議員は総務省出身なので、それで文書を入手することができ、それだけに、自信を持って高市大臣を追及したのかもしれませんが、

 

高市大臣の言葉を信じるなら、発言したことのない記述がなされているということなので、追及するにしても、もう少し確認してからにすればよかったのになあと思います。

 

また、そう言いたくなるのもわかからなくはないですが、売り言葉に買い言葉といった感じで「捏造」という言葉を口にしてしまった高市大臣もよくなかったと思います。

 

捏造とは、「本当はない事をあるかのように偽って作り上げること」ですが、「偽って作り上げた裏には意図や悪意がある」といった印象を与えかねない言葉ですからね。

 

少し言葉が強すぎたと思いますし、書かれていることは正確ではないとか、事実でないことが書かれているくらいの表現で止めておいたほうがよかったような気がします。

 

世の中には、相手を挑発して、それに怒って口を滑らせたところで追い込んでくるような人間もいますからね。小西議員にそういうテクニックがあるとは思えませんし、

 

高市大臣もそう考えて、あえて強い言葉で返した可能性もあるとは思いますが、国会の中でのことですから、むしろ、のらりくらりと返しても良かったのではないかと思います。

 

それはそれで、おちょくっているみたいな受け取られ方をされてしまう可能性もあるとは思いますが、それで相手が口を滑らせたら、違った展開になったかもしれませんし。

 

しかしまあ、7年も8年も前の文書が今になって出てきて、それがもとで騒ぎになるなんて変ですし、「放送法の解釈変更に政治的な圧力がかけられていた」という話しも変ですね。

 

政治的公平を番組全体で判断するのか、1本の番組で判断するのかについての解釈は、「極端な政治的偏向については1本の番組で指導することもある」で、

 

今回の文書が作成される前からこの通りだったと思いますし、今も変わっていないと思います。ここが変わればマスコミが大騒ぎするはずなので、気づかないはずがない…

 

たぶん、当時の補佐官が強く言ってきたので、補充的な説明を付け加えました(多少言葉を変えて同じことを説明しました)くらいの話しでしかないと思います。

 

また、当時総務大臣だった高市大臣も、この話しにはさほど関わっていないような気がしますけどね。(解釈が変わるという話しだったら、関わっていたと思いますが)

 

また、高市大臣の言葉を信じるとすればですが、行政文書の中に、総務大臣(当時)が言ってもいないことが書かれているなんて夢にも思いませんでしたね。

 

これが事実なら、誰がどのような意図でそうしたのかが知りたいです。

 

 

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