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2023/02/28

あまり関わりたくない話し

久しぶりに国会のインターネット審議中継を見てみましたが、これも多様性ということなのか、いわゆるLGBTや同性婚、選択的夫婦別姓といったことが議論されていて、

 

「性的指向又は性自認を理由とする差別の解消等の推進に関する法律案」という法案(報道でLGBT法案と言われているもの)を通す方向で動いているようですね。

 

まあ、自分にとっては縁遠い世界の話しなので、どういう差別があるのかもわかりませんし、それだけに、こういう法案を成立させる必要があるのだろうかと思っているのですが、

 

いろいろな議論があること自体は良いことだと思います。ただ、LGBTの話しと、同性婚や選択的夫婦別姓の話しをいっしょくたに扱うのはどうかと思いますね。

 

LGBTという、大雑把に言えば同性愛の話し(当事者次第で可能な話し)と、法律の世界の話しである同性婚や選択的夫婦別姓の話しは、まったく違う話しではないかと思います。

 

(LGBTについても、「LGB」という性的指向の話しと、身体的性と性自認の不一致という、どちらかと言えば医学的な話しの「T」をいっしょくたに扱うのはどうかと思いますが)

 

まあ、LGBT法案はあくまでも足掛かりで、目指すところは同性婚や選択的夫婦別姓だから…ということで、そういった話しになってしまうのかもしれませんが…

 

ただ、LGBT法案の成立に熱心な人たちの中には、憲法9条を守れと言っている人たちもいて、そういう人たちが憲法24条(婚姻は、両性の合意のみに基いて成立)に触れないとか、

 

「両性には異性だけでなく同性も含まれる」と主張するのは、ちょっとどうかなあと思います。もちろん、憲法学者の中にも、そのような主張をする人がいるので、

 

それを拠り所にしているのだとは思いますが、両性と聞いて同性が思い浮かぶ人は、かなりの少数派だと思いますし、世間からは理解されない主張だと思いますね。

 

それに、民法にも「夫婦」という言葉が出てきますが、ここでいう夫婦とは、「適法な婚姻をした男性と女性」というのが一般的な解釈だろうと思いますので、

 

それからしても、憲法24条の「両性」は、男性と女性を指す言葉と解釈するのがふつうでしょうし、それを男性と男性、女性と女性とする解釈は認められないような気がします。

 

まあ、同性婚を認めたいのであれば、憲法が制定された当時は同性婚が想定されていなかったので、憲法24条は同性婚を否定するものではないという(ぎりぎりの)解釈をして、

 

民法にある夫婦という言葉を適当な言葉に置き換えるか、夫婦には同性も含まれると定義する条文を追加するような法改正をするしかないでしょうね。

 

ただ、個人的には、マイノリティのためにマジョリティに適用されている法律を改正するのはどうかと思っていますし、今は、そのマイノリティがどのくらいいるのかもわからないので、

 

学術的な調査をして、マイノリティの人数や、その人たちが受けている不利益といった実態が明らかになってから、法改正の議論をしてほしいとは思いますが…

 

ということでLGBT法案の話しに戻りますが、この法案でいう差別とは、具体的にどのようなものなのでしょうね。SNSなどを見ても、それを気にしている人はそこそこいるようで、

 

例えば、身体的性は男性で性自認は女性という人が、職場の女子更衣室を使用できるのかとか、それを咎めたり、制止したりしたら差別に当たるのかとか、

 

同様に、女性用のトイレではどうかとか、温泉や銭湯の女湯はどうなのかといった話しを見かけるのですが、このあたりについては、確かに気になりますよね。

 

まあ、世の中には、どう見ても女性にしか見えない男性もいるので、仮にそういう風貌の人がそのようなことをしても、気づかれることすらないのでしょうけど、

 

そうでない風貌の男性がそういうことをした場合は、まず間違いなく気づかれるでしょうし、そのときのリアクションを差別とされたら、それはそれで問題だろうと思うのですよ…

 

というか、これが男女逆で、例えば、自分が男湯に入っているときに女性が入ってきたら驚きますし、周囲から変な誤解を受けないように、外に出ると思うのですよね。

 

その女性に、「間違って男湯に入ったら、この人に変なことをされました」みたいな主張をされたら、どうみても自分のほうが不利ですし、そういう事態は避けたいですから。

 

もちろん、そういうことは気にならないから構わないという人もいるとは思いますが、男女を問わず、そう思える人は(かなりの)少数派だと思いますけどね…

 

といったことを考えると、どういう理由であれ差別はいけないというのが常識になっている今の社会に、差別の解消を謳うような法律は不要なのではないかと思ってしまいますし、

 

そういう法律があることで、かえって状況が悪くなってしまうような気もしますね。面倒なことは避けたいという気持ちから、面倒になりそうな人は避けたいとなってしまうといった感じかな?

 

また、SNSなどを見ていると、多様性が大切と言う人ほど排他的であったり、差別をするなという人ほど他人を差別するような傾向を感じるときがあるのですが、

 

そういった人たちの存在も、状況を悪くする原因になっているような気がします。明確な意思表示をすると叩かれるという気持ちから、面倒になりそうな人は避けたいとなってしまうといった感じかな?

 

まあ、どちらかと言えば、自分もそんな感じなので、今回のLGBT法案のような話しは、あまり関わりたくない話しではありますけどね。

 

 

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