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2022/10/30

心温まるメッセージだったと思う

25日の国会で、野田元総理による安倍元総理への追悼演説が行われましたが、その動画を見て、野田さんが追悼演説をすることになって本当に良かったと思いました。

 

野田さんと安倍さんはあまり接点がなかったのか、安倍元総理の人生を辿りつつ、その中で二人の関係が語られるといった感じの追悼演説でしたが、

 

政治家同士、また、総理大臣経験者同士ということで心の通じるところがあったのでしょう。安倍元総理に対する尊敬の念を隠さない、心温まるメッセージだったと思いました。

 

また、追悼演説の中に、「手強い論敵」「仇のような政敵」といった表現があり、このあたりについては、もう少し言葉を選ぶべきではないか…となってもおかしくはなかったと思うのですが、

 

自分は、聞いていてそういう気持ちにはなりませんでしたし、むしろ、こういうことを率直に言える野田さんの正直さというか、人柄の良さに好感を抱きましたね…

 

ということで、追悼演説を引用しつつ思うところを書こうと思うのですが、全体的には、安倍元総理の死を悼みつつ、今の国会のありさまを間接的に否定するような追悼演説だったと感じました。

 

「本院議員、安倍晋三元内閣総理大臣は、去る7月8日、参院選候補者の応援に訪れた奈良県内で、演説中に背後から銃撃されました。(中略)この暴挙に対して激しい憤りを禁じ得ません」

 

これは、追悼演説の冒頭の言葉ですが、本来であれば、マスコミの報道も、国会での議論も、このことが起点になっていないとおかしいと思うのですが、

 

キャンセル・カルチャーというのでしょうか、与党議員の過去の言動を掘り起こして、それを理由に対象者を排除していくことが最優先になっているかのような今の状況は残念ですよね。

 

「私も、同期当選です。初登院の日、国会議事堂の正面玄関には、あなたの周りを取り囲む、ひときわ大きな人垣ができていたのを鮮明に覚えています」

 

この出来事が、野田さんと安倍さんの最初の接点だったのかもしれませんね。政治家一族の出身ということもあって注目を浴びていた安倍さんが、

 

多くの記者に囲まれて取材を受けていた様子がまぶしく感じられたのでしょう。野田さんの中に、そのときの光景が鮮明な記憶として残っていたのだろうと思います。

 

「自由民主党幹事長、内閣官房長官といった要職を若くして歴任したのち、あなたは、平成18年9月、第90代の内閣総理大臣に就任されました。戦後生まれで初。齢52、最年少でした」

 

政治家としての階段をまたたく間に駆け上がり、順風満帆の政治家人生を歩んでいたであろう、当時の安倍さんの様子が目に浮かびますね。

 

最年少総理というのもすごいと思いますが、自民党のような政党で、閣僚経験もなく、党の要職にもついたことがなかった人が幹事長になったのも、すごいと思います。

 

「かつて『再チャレンジ』という言葉で、たとえ失敗しても何度でもやり直せる社会を提唱したあなたは、その言葉を自ら実践してみせました」

 

持病の悪化により、1年あまりで総理大臣の職を辞し、それから5年後、自民党総裁として野田総理(当時)と国会で対峙することになった安倍さんですが、

 

特に印象に残っているのは、平成24年の11月に行われた、野田さんと安倍さんの党首討論ですね。この席で野田さんは、議員定数と議員歳費の削減を条件に、

 

衆議院の解散期日を明言するわけですが、突然の出来事に安倍さんも驚いたのか、野田さんに対して、本当に解散するのか?と聞き返していましたよね。

 

討論中に解散の期日を名言したということは、野田さんは前々から覚悟を決めていたのだろうと思いますが、恐らく、誰に相談することもなく、孤独の中で解散を決意したのでしょうね。

 

「安倍さん。あなたは議場では『闘う政治家』でしたが、国会を離れ、ひとたび兜を脱ぐと、心優しい気遣いの人でもありました」

 

安倍さんの気遣いを評価する声は、雑誌やネット上でたまに見かけてはいましたが、野田さんに対して、そうした気遣いがあったというのは初めて知りました。

 

「首脳外交の主役として特筆すべきは、あなたが全くタイプの異なる二人の米国大統領と親密な関係を取り結んだことです。(中略)あなたには、人と人との距離感を縮める天性の才があったことは間違いありません」

 

国内では評価が分かれていたものの、外交では評価の高かった安倍さんですが、自分も、この点はすごいと感じていました。野田さんの言う通り、安倍さんには天性の才があったのでしょうね。

 

「安倍さん。あなたが後任の内閣総理大臣となってから、一度だけ、総理公邸の一室で、密かにお会いしたことがありましたね。(中略)二人きりで、陛下の生前退位に向けた環境整備について、一時間あまり、語らいました」

 

これも初めて聞く話しでしたが、こういうことができるのが安倍さんなのでしょうね。岸田さんも、安倍さんの国葬儀について同じ対応をしていれば、揉めなくて済んだのではないかと思います。

 

「私が目の前で対峙した安倍晋三という政治家は、確固たる主義主張を持ちながらも、合意して前に進めていくためであれば、大きな構えで物事を捉え、飲み込むべきことは飲み込む。冷静沈着なリアリストとして、柔軟な一面を併せ持っておられました」

 

安倍さんのことをリアリストと評価していた人は、わりと多かったような気がするのですが、こういったところがあったからこそ、憲政史上最長の総理大臣になったのだろうと思います。

 

「安倍晋三とはいったい、何者であったのか。あなたがこの国に遺したものは何だったのか。そうした『問い』だけが、いまだ宙ぶらりんの状態のまま、日本中をこだましています」

 

今まで何人もの総理大臣を見てきましたが、こういう表現が適当かどうかはわかりませんが、安倍さんほど人を狂わせた政治家はいなかったと思いますね。

 

熱狂的とも思えるくらいの親安倍派がいた一方で、聞くに堪えないような罵倒をひたすら繰り返す反安倍派がいたという事実を、どう理解すれば良いのだろうと思います。

 

追悼演説の中で野田さんは、安倍さんについて、「歴史の法廷に永遠に立ち続けなければならない運命」と話していましたが、その言葉の通り、永遠に答えは見つからないのかもしれませんが。

 

「真摯な言葉で建設的な議論を尽くし、民主主義をより健全で強靱なものへと育てあげていこうではありませんか。こうした誓いこそが、マイクを握りながら、不意の凶弾に斃れた故人へ、私たち国会議員が捧げられる、何よりの追悼の誠である」

 

「この国のために、『重圧』と『孤独』を長く背負い、人生の本舞台へ続く道の途上で天に召された安倍晋三元内閣総理大臣。闘い続けた心優しき一人の政治家の御霊に、この決意を届け、私の追悼の言葉に代えさせていただきます」

 

キャンセル・カルチャーにひた走る野党の皆さんには通じないと思いますが、追悼演説の最後に野田さんは、議場にいる国会議員に対し、言論の自由の大切さを訴えたのではないかと思います。

 

また、安倍さんの命は、暴力という狂気に奪われたわけですが、そうした狂気に打ち勝つことができるのは、野田さんのような政治家なのかもしれません。

 

 

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