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2022/07/19

誤解の積み重ねが憎悪につながる

連休中、朝日新聞の朝日川柳という連載記事に掲載された川柳が批判の的になっていましたが、自分にとっては、「憎悪というのはこうやって生まれるんだなあ」と感じられる出来事でしたね。

 

この朝日川柳という連載記事は、朝日新聞の読者から募った川柳のいくつかを選定者が取り上げて、選評とともに紙面に掲載するものらしいのですが、

 

連休中に、、7月15日の朝日川柳に掲載された「還らない命・幸せ無限大」という川柳が批判の的になったのですよね。まあ、ぱっと見ただけですと、何なのこれ?と感じてしまうとは思いますが、

 

そういった直感的とも言える印象が世間に広がっていくと、誤解が誤解を生んで、最後は「ふざけるな!朝日新聞」みたいな憎悪になってしまうのかなあという気がしました。

 

20220717

 

ちなみに、当日の朝日川柳の紙面は、この写真の通りなのですが、真ん中にある「・」が、前後の文章の区切りのように見えてしまうので、本来は五・七・五で読まれるべき川柳が、

 

「還らない命」「幸せ無限大」

 

とも読めてしまい、実際、そのように読んでしまった方たちが、この川柳を銃撃事件と重ね合わせて受け取ってしまったために、誤解が広がり、批判の的になったのではないかと思います。

 

もちろん、五・七・五の区切りに空白を入れなかった朝日新聞にも問題はあると思いますが、「川柳というものは五・七・五である」という理解があって、

 

かつ、記事の後半にあった、「東電旧経営陣に13兆円賠償命令」というこの川柳の選評まで読んでいれば、「還らない命・幸せ無限大」という川柳を、

 

「還らない」「命・幸せ」「無限大」

 

と読むことができたと思いますし、その意味も、「(被災者の)還らない命と幸せは無限大」と受け取ることができたのではないかという気がします。

 

ただ、五・七・五の区切りが無かったという以外にも、この川柳を誤解してしまう要素はあったと思うので、誤解した人たちよりも、誤解させるようなことをした朝日新聞のほうが良くないようには感じますが…

 

というのも、当日の朝日川柳には、この川柳の他にも川柳が掲載されているのですが、その半数が、

 

「銃声で浮かぶ蜜月政と宗」

「銃弾が全て闇へと葬るか」

「去る人の濁りは言わず口閉ざす」

 

といった感じの、銃撃事件と関連したものとしか思えないような川柳だったので、そうした中に、「還らない命・幸せ無限大」という川柳があれば、

 

選評を読むことなく、銃撃事件と関連したものなのだろうと受け取ってしまうのも仕方がないと思いますし、「ふざけるな!朝日新聞」となってしまうのも当然だろうと思うのですよ。

 

それに、もともと朝日新聞は安倍元総理に批判的でしたし、読者を誤解させるような記事によって、世論を誘導してきたのも事実でしょうからね。

 

その点で、以前から「ふざけるな!朝日新聞」となりやすい空気はあったと思うので、それが今回の川柳をきっかけにして、表面化したということもあるような気もしますが。

 

ただ、あくまでも事実は、「誤解されやすい記事だった」ということだと思いますし、誤解は誤解ですので、あまり感情的になるのは良くないと思います。

 

もちろん、朝日川柳というのは、朝日新聞とその読者とで成り立っている連載記事なので、疑う気になれば、いくらでも疑うことはできると思いますけどね。

 

例えば、今回の川柳について、「賠償命令と銃撃事件の二つを意識して作ったものだった」と疑うこともできますし、「それを承知で朝日新聞が掲載した」と疑うこともできると思うのですが、

 

それですと、モリカケの頃に野党の皆さんや一部のマスコミがやっていた、「疑惑は深まった!」と同じですからね。正直言って、そういうレベルの話しはどうかと思います…

 

とは言うものの、自分も今回の件では、朝日新聞の本音というか、悪意を疑いましたけどね。朝日川柳に掲載された川柳が、あまりにもひどすぎるので。

 

例えば、7月15日の朝日川柳に掲載されていた川柳は上に書いた通りですが、翌日の16日の朝日川柳でも、以下のような川柳が掲載されているのですよ。

 

「疑惑あった人が国葬そんな国」

「利用され迷惑してる民主主義」

「死してなお税金使う野辺送り」

「忖度はどこまで続くあの世まで」

「国葬って国がお仕舞いっていうことか」

 

まあ、表現の自由ということなのだろうと思いますが、事件があったすぐあとに、しかも人が亡くなっているというのにこういう川柳を作れる気持ちが理解できないです。

 

でも、どうなんでしょう。掲載された川柳には、川柳とともに、その川柳を作った人が暮らす都道府県と、作った人の氏名が掲載されているのですが、

 

自分だったら、そういう形で自分の名が残るのは嫌ですけどね。「私は亡くなった人のことを悪く言える人間です」と公言しているようなものではないかと思うので。

 

もちろん、そういった考えでなければ、このような川柳を作ってはいないでしょうし、自分の氏名が全国紙に掲載されるかもしれないとわかっていて応募することもないと思うので、

 

価値観の違いとしか言えないわけですが、それにしてもなあと思います。このところ、洗脳という言葉をよく耳にしますが、こういうのも、ある種の洗脳の結果なのでしょうか?

 

しかしまあ、それにしてもひどいよなあ。朝日川柳の担当者は、朝日新聞の中でもかなり上のほうの立場の人ではないかという話しもありますが、

 

もしそうだとしたら、朝日新聞は、こういうことをひどいことだと感じないような人でないと出世できないような会社なんだろうかと思ってしまいますね。

 

 

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