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2022/07/17

モリカケサクラが忘れられない人たち

このところ、政治と金ならぬ政治と宗教の話しが出ていますが、国会議員と…というよりは、自民党と某宗教団体との癒着みたいな話しもあって、正直、どうなのかなあと思っています。

 

癒着というからには、お金か票か、あるいはその両方のつながりが深いということなのだろうと思うのですが、今のところ、お金の話しがあるのかどうかもわからないですし、

 

票についても、どのくらいの集票力があるのかがわからないので、このまま話しを続けても、何年もかけてやっていた、モリカケ、ラクラみたいな話しにしかならないような気がするのですよね。

 

例えば、今回の参院選挙の場合、問題になっている某宗教団体とは別の宗教団体の政党が15万票集めましたが、このくらいの集票力があっても議席は獲得できなかったので、

 

問題になっている某宗教団体が集票マシーンとして機能していたと仮定するなら、少なくとも40~50万票くらいの集票力のある団体ということでないと、おかしいと思うのですよね。

 

まあ、実際のところはわかりませんが、そんなに集票力のある団体には見えないですし、集められたとしても、せいぜい数万票くらいではないかなあと思うので、

 

これで癒着があったとするのは、ちょっと無理があるような気がしますし、この問題を追及しても、関係があったのは怪しからんくらいの話しにしかならないのではないかと思います。

 

もちろん、こうした団体と関係があること自体が問題だという話しもあって、それは確かにその通りだとは思うのですが、政治家と有権者の関係は、真っ白なものばかりではないと思うので…

 

という話しはさておき、安倍元総理の葬儀が、政府主催の国葬儀になったのは良かったと思いますね。多くの国々から追悼の声が寄せられている中、

 

日本が国として何もしないというのは、日本という国の信用にも係る話しだと思いますので、そう考えると、国葬儀以外の選択肢はなかったと思うのですよ。

 

もちろん、国葬儀に反対する人たちがいるのも事実ですが、その理由は以下のようなことのようなので、そういった意見は、あまり気にしなくても良いのではないかなあと思いました。

 

1. 国葬を実施する法的根拠が存在していない。

2. 安倍政治の功罪はしっかり検証されるべき。

3. 安倍政治を賛美、礼賛することになる。

4. 安倍氏が神格化される。

5. 国葬儀で国民が分断される。

 

まあ、1.はともかく、2.3.4.5.は、今もモリカケ、サクラの騒動が忘れられない人たち…というか、安倍さんのことを快く思っていない人たちの意見のような気がしますね。

 

ちなみに、1.については、内閣府設置法の第4条3項33号を法的根拠とするらしく、内閣法制局も、それで問題ないと判断しているようなので、

 

国葬儀に反対する根拠としては弱いと思いますね。(岸田総理は記者会見で、「内閣法制局ともしっかり調整をした上で判断しているところです」と発言したようです)

 

また、内閣府設置法の中に国葬儀という単語は出てこないので、それをもって「国葬儀には法的根拠が無い」という言い方もできなくはないと思いますが、それは同時に、

 

「政府は国葬儀をすることができない」という法的根拠にもならないと思うので、やはり、反対する理由としては弱いと思います…というか、ただの屁理屈に聞こえますね。

 

また、2.については、確かにその通りだと思うのですが、国内外からこれほど多くの弔意が寄せられていることからすると、これも国葬儀に反対する理由としては弱いと思います。

 

そして、3.4.5.は、「アベ辞めろ」や「アベ政治を許さない」みたいな話しの延長線上の話しではないかという印象がありますし、特に4.5.は、話しが飛躍し過ぎているような気がします。

 

まあ、一言で言えば、「安倍さんのことが嫌いなんですよね?」ということではないかと思いますし、同時に、「国葬儀の意味を取り違えていませんか?」といった話しでもあるような気がします。

 

国葬儀というのは、国として故人の冥福を祈りますということ以上に、外交の場という意味合いもあるので、そういったことも考えるべきではないかと思うのですよね。

 

なので、安倍さんのことが嫌いな一般人が国葬儀に反対するのは別に構わないと思うのですが、国会議員で国葬儀に反対というのは、ちょっとどうかなあと思っています。

 

もちろん、国会議員も人間ですから、安倍さんのことが嫌いでも構わないのですが、そういう感情と国益とは別で考えられるようでないと、国会議員としての役割は果たせないですよね…

 

というか、そういう人は次の選挙で落選してほしいですし、できれば、そういう人たちで成り立っているような政党も、政党要件を失うくらい惨敗してほしいと思います。

 

あと、少し話しが逸れますが、今回の事件について、京都大学の元助教の方が書いたとされる「アベさんに対する銃撃について思うこと」という文章(PDF)が話題になっていたようですね。

 

まあ、「安倍さん」のことを、あえて「アベさん」とカタカナで表現しているところからして、安倍さんのことを快く思っている方ではないのだろうと思いますが、注目すべきは、この文章の中の、

 

「アベさんにはこれ以上の悪行を積む前に死んでほしいとは思ったが、殺していいとは思っていなかった」(引用)

 

「多くの人が『民主主義社会では許されない蛮行』と言うが、私はその意見に与しない」(引用)

 

という一文ですね。こういった認識を持っているというのもどうかと思いますが、それを文章にして一般に公開するのは、さすがにどうかと思いました。

 

また、この文章に対しては、「私の気持ちと一緒」といった共感を表すコメントが多く寄せられていて、いわゆる「いいね」が数万件もついているのですよね。

 

それを見たときは、社会が歪んでいるというか、社会の闇のようなものを感じましたよ。人間というのは、長く心の中に憎悪を溜めこむと、こういう感覚になってしまうのでしょうか?

 

まあ、マスコミの影響も大きいとは思いますけどね。安倍さんが総理のとき、野党から、「安倍総理が原因で言論が委縮しているのではないか」と質問され、それに対して安倍総理が、

 

「そんなことはない。そう思うのだったら、帰りに日刊ゲンダイを買って読んでみてほしい。読めばそんなことがないとわかる」といった答弁をしたことがあったのですが、

 

その日刊ゲンダイは、「国賊・安倍晋三は確実に“死に至る病”だ」といった見出しの記事を平気で載せていましたからね。恐らく、こういった記事に影響された人も少なからずいるのでしょう。

 

さしたる理由もなく、特定の個人を悪魔化して徹底的に人格攻撃を続けてきた社会。その人が亡くなってもなお攻撃を続ける社会。本当に怖いなあと思います。

 

 

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