この将軍は誰?(徳川幕府の歴代将軍)

江戸幕府(徳川幕府)の歴代将軍の中で、以下のプロフィールを持つ人物は誰でしょう?

 

松平武元らと政治に励んだが、武元の死後は幕政を田沼意次に任せ、自らは趣味に没頭することが多かったのは?

 

 

末期養子の禁を緩和、大名証人制度を廃止、殉死禁止令を出すなど、武力に頼った武断政治から文治政治へ政策を切り替えたのは?

 

 

病弱であり、また、人前に出ることを嫌ったと言われている。また、カステラを作るなど、菓子作りが趣味だったとされているのは?

 

 

酒税を廃止し、生類憐れみの令も一部を残して廃止し、側用人に間部詮房、学者に新井白石らを登用して文治政治を推進したのは?

 

 

健康指向で食事は質素。麦飯と魚を好み、野菜の煮付けや納豆もよく食べ、また、飲酒も控えめで長寿だったのは?

 

 

 

史上最年少の4歳で将軍となり、8歳(満年齢では7歳に満たない)で死去したのは?

 

 

老中の水野忠邦を重用して天保の改革を行なわせ、また、高野長英や渡辺崋山など、開明的な蘭学者を弾圧したのは?

 

 

禁門の変において、自ら御所守備軍を指揮して長州藩軍を攻撃し、また、安政五カ国条約の勅許を得るために奔走したのは?

 

 

乳母は春日局。老中・若年寄・奉行・大目付の制を定め、将軍を最高権力者とする幕府機構を確立したのは?

 

 

生来虚弱で、障害により言語が不明瞭であった。また、側用人制度を復活させ、田沼意次を大名に取り立てたのは?

 

 

 

諸藩の政治を監査するなど、積極的な政治に乗り出し、幕府の会計監査を行う勘定吟味役を設置し、有能な小身旗本を登用したのは?

 

 

松平定信が主導した寛政の改革により、積極的に幕府財政の建て直しを図ったが、次第に定信と対立し、最後は定信を罷免したのは?

 

 

小田原征伐に際し、実質的な人質として上洛。また、関ヶ原の戦いで信州上田城を攻めて大敗を喫したのは?

 

 

勝海舟などの幕臣からの信望も厚く、忠誠を集めたと言われている。また、甘いもの好きで虫歯が多かったのは?

 

 

増税と質素倹約による幕政改革、新田開発など公共政策、公事方御定書の制定、目安箱の設置などの享保の改革を実行したのは?

 

 

 

江戸幕府(徳川幕府)の歴代将軍一覧はこちらをご覧ください