ニフティサーブ(NIFTY-Serve)の思い出(2)

■会話くん

1995年頃に提供されていたサービスに「会話くん」というものがありました。ニフティサーブのホストコンピュータと会話することができるサービスです。人工知能…と呼ぶにはやや無理があったと思いますが、当時は「へ~、こんなこともできるのかあ」という印象でした。

当時のオンラインマニュアルには、会話くんについて以下の説明がありました。

あなたとコンピュータ (会話くん) が会話するサービス。
会話くんはあなたに色々な質問や話をしてくれる。
それに対してあなたがどう答えるかによって会話が発展していく。
会話くんとの話がどう発展するか、または破綻するかはあなた次第。

以下は当時、会話くんに接続してみたときのログです。GOコマンドを使って会話くんのサービスに入ったところから引用しています。「>」が表示されたら自分がキーボードから入力するというルールでした。

 

 

会話くん    KAIWAKUN
1. ご案内                 2. サービスに入る
3. New Year Labyrinth
>2

会話くんに接続されました。
あなたの名前を入力して下さい
>すずき
何か言ってね
>こんにちは
あいさつは、人間関係の基本です
>そうです
やはりそうでしたか

(途中省略)

何をやっても褒められる海の生き物は?
>ヒントを下さい
とっても恐ろしい生き物ですよ
>分かりません
はっはっは、答えはジョーズですよ
>巧いですね
レストランは、お金がかかる場所ですか?
>はい
了解しました

(途中省略)

焼かれているのに、焼かれていないと言うのは? すずきさん
>やかん
正解です
>はっはっは
笑いましたね

---

と、こんな感じのサービスでした。暇つぶしになりましたが、従量制の料金体系でしたので、しっかり料金は取られましたが…。

 

■悲しみのNIFTY-Serve

これは、当時のニフティサーブの会員に無料で送られていた広報誌「OLTJ(ONLINE TODAY JAPAN)」1995年8月号の付録CDに収録されていた曲です。遠い町に住むまだ見ぬ女性への恋心を歌ったBackUppersというバンドの曲で、日本で最初(で最後?)のパソコン通信恋愛ソングだったかもしれません。

FGAL(Software Gallery Forums)フォーラムグループの一つ、FGALRAY(FGAL・RAYユーザーズ)フォーラムのメンバーが作った曲とのことでした。RAYはNECのPC98シリーズで動いたFM音源演奏のフリーソフトで、当時はRAYを題材にした本も出版されていました。

曲のサビの部分の歌詞はこんな感じです。

悲しみのニフティサーブ
逢いたいけれど
君の住む町はとても遠く

悲しみのニフティサーブ
ページ送るよ
今日もスクラコードは2人のイニシャルさ

「ページ(Page)」や「スクラコード(SCramble)」は、ニフティサーブのCBシュミレーター(今で言うチャット)サービスで使えるコマンドです。Pageは、チャット内の特定の人だけにメッセージを送りたい時に使います。SCrambleは秘話機能を使う時のコマンドで、同じコードを指定した特定の人同士で会話ができました。

CBシュミレーターのサービス名は、CB無線(Citizen's Band=市民無線)のように、離れたところにいる人と会話できるという意味合いでつけたようです。当時は、チャットという言葉が一般的では無かったのかもしれません。

歌詞の中には「燃える課金払えきれずに」というフレーズもあり、当時の通信事情をよく表していたと思います。当時は10円/分の従量制料金。1日1時間チャットしたとして1ヶ月にすると18,000円。これに電話代がかかります。常時接続が当たり前の今からすれば信じられない料金でした。

この曲は、当時開かれていた「NETWORKERS JAPAN おふらいんまつり」というイベントや、パソコン通信サービスが終了した2006年3月31日に開かれた「さよなら、パソコン通信」オフでも歌われました。曲ができた当時はパソコン通信の全盛期で、その時期を知っている人には思い出深い曲だと思います。今でも動画サイトなどを探すとこの曲を聞くことができます。当時を懐かしむ人がアップロードしたのだろうと思います。

ちなみに、広報誌の「ONLINE TODAY JAPAN」は「NIFTY SERVE MAGAZINE」(1997年頃)、「ニフティ SUPER Internet」(2000年頃)、「Walk@nifty」(2003年頃)と名前を変えて続いていたようですが、最近は広報誌自体があるのかも分からないくらいに、こうした世界から離れています。

 

 

■おふらいんまつり

1995~97年の8月にパシフィコ横浜で開催されたパソコン通信ネットワークのお祭りが「おふらいんまつり」です。「NETWOKERS JAPAN'95 おふらいんまつり」の表現が正式だと思います。ニフティサーブのフォーラムからも出展がありました。

そこでの出展は、フォーラムの日頃の活動を披露するといった感じの内容で、お酒をテーマにしていたFSAKE(バッカス・酒フォーラム)は試飲コーナーがあるなど、雰囲気的には学園祭といった感じだったと思います。

1997年のおふらいんまつりは、実行委員長がジャーナリストの木村太郎さんで、トークバトルといった感じのイベントもありました。ちなみに1997年のときは参加団体が約170団体。来場者数が55,000人弱ということでした。

この頃がパソコン通信の全盛期だったと思います。自分もフォーラムが主催のオフ会などによく参加していました。当時、仕事関係以外で飲みに行く機会といえば、ほとんどニフティサーブ関係といって良いくらいに参加していました。

ちなみに「おふらいんまつり」はこの3回だけだったと記憶していますが、1998年以降はニフティサーブのフォーラムの合同主催で「勝手におふらいんまつり」というイベントがありました。

 

■アット・ニフティ コンベンション

ニフティのユーザー有志が主催したオフ会に「アット・ニフティ コンベンション」というものがありました。当時は略して「ニフコン」と呼ばれていました。開催時期と開催場所は以下の通りです。

2000年 熱海
2001年 蔵王
2002年 浜名湖
2003年 鬼怒川

2000年頃のニフティサーブは、フォーラム数で700台半ば(ピーク時は1,000を超えるフォーラムがありました)といった状況で、インターネットの普及でフォーラム会員数が減少していると言われていた時期でしたが、そういう時期に、こうした大規模(2000年の参加者は600人を超えていたようです)なオフ会が開かれていました。

ただ、この頃のフォーラム利用者には、フォーラムが衰退しているという認識があったのではないかと思います。自分もその一人でした。

 

 

■さよならオフ

2006年3月31日、ニフティサーブというパソコン通信サービスが消えることになりました。ニフティサーブ最後の日となるこの日、ユーザー有志により新宿の「DINING BAR mixing」で「さよならオフ」が開催されました。参加者は100人近くになったそうで、ノベルティの抽選会を始め、ニフティサーブに実際にアクセスして、残っているサービスを巡回したり、往年の名曲「悲しみのニフティーサーブ」の合唱などがあったようです。

 

ニフティサーブ(NIFTY-Serve)について

ニフティサーブ(NIFTY-Serve)の思い出(1)

 

 

無料ブログはココログ