« 偏向報道を繰り返す朝日新聞への痛烈な批判 | トップページ | 寒い日の入浴に注意!日本気象協会がヒートショック予報を提供 »

2017/11/16

国会議員とメディアではどちらが強いのか(より権力があるのか)

 

先日の「朝日新聞、死ね」の件ですが、国会議員が「朝日新聞、死ね」と言うのと、一般人が「日本、死ね」と言うのとは違う…といった意見があるようですね。自分にはどちらも同じに見えますが…。

 

まあ、「国会議員は公権力を行使できる立場であり、立法によってメディア(言論の自由・表現の自由)を封じることもできるから」という理屈はわかりますけどね。

 

ただ、それらの自由が保障されている現行憲法でそのような立法は不可能ですよ。もちろん、それが可能になるように改憲する方法もありますが、改憲には国民投票が必要ですので、少なくとも国会議員だけではできないです。

 

それができるとすれば、国民が騙されて賛成したときですが、国民もさすがにそこまで馬鹿な判断はしないと思います。でも、仮に賛成と判断したなら、それが民意ということで仕方がないのではないですかね。

 

また、この問題は、「自分よりも強い相手には『死ね』と言っても許されるといった風潮がある」ことと、「国会議員とメディアのどちらが強いのか」という2つで考えたほうが良いのではないかと思います。

 

■自分よりも強い相手には「死ね」と言っても構わない?

 

昨年、保育園に子どもを預けられなかった(弱い)母親が、(強い)国に対して「保育園落ちた、日本死ね」とブログに書いたことについて、民進党(当時)の国会議員が国会の場で取り上げました。

 

そして、朝日新聞などのメディアは、「保育園落ちた、日本死ね」のことを「率直な物言いが政治を動かす」「悲痛な叫びが共感を呼んでいる」などといって、否定するどころか評価していました。

 

少なくともリベラルと言われている人たち(最近は保守と名乗っているリベラルの人もいるらしいですが)の間では、(弱者の言う)「死ね」という言葉は許容されていたのですよね。

 

 

■国会議員よりもメディアのほうが権力がある?

 

森友問題や加計問題についてメディアは、「疑わしきは罰せず」という法治国家の基本原則を無視し、「疑われた側が潔白を証明しろ」と言わんばかりに政権を攻撃しました。

 

しかもその攻撃は、事実の中から都合の良いところだけを取り上げて報道を繰り返すなどの、いわゆる偏向報道によって行われました。その結果、政権の支持率は急落しました。

 

また、昨年の都知事選挙以降、メディアは根拠のない期待で小池都知事という人気者を創り出しましたが、総選挙で改憲を明言した途端、一転して小池都知事を不人気者に貶めました。

 

このような不合理な状況を生み出せるメディアに対して声を上げられるのは国民(民意ですね)だけですが、その国民の心理もメディアによって操作されているため、大きな声にならない状況です。

 

実際、内閣支持率は回復したものの、加計問題に関する政府の説明については、不十分と考えている人のほうが多いですからね。この状況で、公権力を行使できる国会議員のほうがメディアよりも強いとは言い切れないと思います。

 

■やはりここは民意で解決を

 

これらからすれば、少なくとも「死ね」という言葉を許容したリベラルを代表するようなメディアである(強く見える)朝日新聞は、(弱く見える)国会議員の「朝日新聞、死ね」という発言についても許容するしかないでしょうね。

 

ただ、世間から見た場合、「相手が最低だから自分も(相手にあわせて)最低でやる」と言わんばかりの「朝日新聞、死ね」という発言が本当に許されるのか…といえば、やはり許されないのではないかと思います。

 

問題提起としては良かったのかもしれませんが、お互いに最低のやり方をしていたら泥仕合になって収拾がつかないですからね。本当は、こういう時こそが「民意の見せ所」なのかもしれません。

 

国家権力の強さや怖さを知っていることが国民の常識…といった意見もあるようですが、それに加えて「民意の見せ所」も知っていることが国民の常識ではないかと思います。

 

 

« 偏向報道を繰り返す朝日新聞への痛烈な批判 | トップページ | 寒い日の入浴に注意!日本気象協会がヒートショック予報を提供 »

「日記」カテゴリの記事