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2016/10/24

勝ち組と負け組・幸せと不幸せについて

仕事帰りの電車の中で、たまたま隣にいた人たちの会話が聞こえてきたのですが、その中に「勝ち組」「負け組」という言葉がありました。この言葉、今でも使われているのですね。久しぶりに聞きました。

 

 

その人たちの会話は、少し前にニュースになった広告代理店の新入社員の女性が過労自殺した件についてで、勝ち組だった彼女は幸せになれたはずだ…といったような話しでした。

 

有名大学を出て有名企業に入って、同世代の人と比べて高収入を得ていたであろう彼女は、確かに勝ち組だったと思います。高い競争率の中を勝ち抜いた結果でしょうからね。

 

ただ、「勝ち組」だから「幸せ」になれるとか、「負け組」だから「不幸」になるというのは、少し違うような気がします。まあ、自分のように有名大学や有名企業とは無縁の負け組が言っても、負け惜しみにしか聞こえませんけどね。

 

でも、人生には「勝ち」「負け」以外にも、「巡り合わせ」というものもあると思うのです。そして、人生の「幸せ」や「不幸」というのは、この「巡り合わせ」次第ではないかと思うのですよね。

 

もちろん、この広告代理店に就職することを選択したのは彼女ではないか…といった、いわゆる自己責任論もあるとは思いますが、「巡り合わせ」は「努力」と違って、必ずしも本人の思った通りになるというものではないですからね。

 

 

例えば、この広告代理店を選択したのは本人でも、具体的な仕事の内容までは選択できないでしょうし、上司も選択できないですよね。このような状態で、自己責任だから…と言い切ってしまうのは酷ではないかな…。

 

それに、「巡り合わせ」といったことまで考えが及ぶ状態だったかどうかもあると思います。もしかしたら、「巡り合わせ」に気づけるかどうかも、ある意味では「巡り合わせ」なのかもしれません。

 

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